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【手塚治虫とその関係者たち】

1 :名無しさん名無しさん:2006/11/13(月) 22:03:43
【人物】

大学時代から、漫画家として活動を始める。
漫画家という職業が社会的に評価が大変低かったこともあり、医師との二足のわらじをはくことも考えたが、母の「好きなことをやりなさい」ということばで専業漫画家の道を選んだエピソードは有名。
ただしこの他に、担当教官に医者よりも漫画家に向いていると言われた、血を見るのは苦手だった、などといった話も伝わっている。
1947年に発表した『新宝島』は、漫画に映画的スペクタクルな表現を導入した先鋭的な作品で、藤子不二雄、石森章太郎(後に石ノ森章太郎)ら後進に極めて大きな影響を与え、現代日本における漫画・アニメの基礎が築かれるなかで大きな役割を果たした。

風貌や実績から温厚で人格者というイメージがあるが、石ノ森章太郎ら若い才能に対し、意外に嫉妬深い一面を見せている。

いかにも漫画的・人間的なエピソードが紹介されることもある。

・松本零士など後進の漫画家などの客人にいたずらでチョコレートうどんを食べさせたことがある。
・締切前に担当編集者の目を盗み、映画鑑賞のためなどと称して度々逃亡している。阿蘇山にまで逃げたことがある。
・深夜「メロンを買ってこなければ続きを描かない」などと担当編集者に無理難題を言い出した(当時、コンビニなどは無かった)。
・寝ているところを編集者に叱責されると、「寝ていたのではない。横になって疲れをとっていただけだ」と言い張った。

上記のように、担当の編集者からすれば目に余る行動も多かったらしい。
殺人的スケジュールに追われていたため同情すべき余地は多々あるものの、当時の担当編集の中には手塚の人間性を厳しく糾弾する例も見られたようだ。
だが依頼された仕事はほぼ断らずに受け、原稿料もいつ支払われたのかよくわからない手塚に、新雑誌の創刊毎に「彼が誌面にいないと売れない」という理由でいくつも掛け持ちさせ結果的に心身ともに消耗させたのも彼らである。

244 :名無しさん名無しさん:2007/01/23(火) 05:00:58
幻対談 手塚vs宮崎

手塚「君の天空の城ラピュタね、あれいいですね、でも僕にもああ云うのは作れるんだよ?後10分削ればもっと良くなる」
宮崎「いやっwwwwwwwwwwwwwwwwハハハッッおkwwwwww  そうですか・・・」  (目上の人との対談でよくする馬鹿笑い、黒澤明、三輪明弘との対談でもやってた)

手塚「・・・・・・・・」

245 :名無しさん名無しさん:2007/01/23(火) 10:26:11
手塚はこういうところは鈍感だから気づけていないと思うがな。

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